日・イ建築家らが未来の住まいを考える第1回研究会

日・イ建築家らが未来の住まいを考える第1回研究会
 家に関わるウェブアンケートや研究会を通じて、ジャカルタの「未来の住まい」を考える「ATAP JAKARTA(HOUSE VISION INDONESIA)」実行委員会は5月26日、日本・ジャカルタの建築家、デザイナー、研究者らを招き南ジャカルタ・クマンで第1回研究会を開いた。
 ATAP JAKARTAは総合地球環境学研究所(RIHN、京都府)やデザイナーの原研哉氏が世話人を務めるHOUSE VISION、東京大学生産技術研究所の村松伸研究室などがインドネシアの建築家、デザイナーとともに結成。2013年は住まいに関するウェブアンケートの結果をもとにセミナーを月1度開催し、14年には現地企業や日本企業、デザイナーがジャカルタの住まいの形を考え、15年の展覧会開催を目指す。
 第1回研究会のテーマは「コンパクト」。研究会を主宰する林憲吾研究員(RIHN)は、都市の人口が増え高密化していく中で、大きな空間ではなく、限られた空間で豊かに住む方法を考える必要がある-と主旨を説明。一方で建築家タン・ティク・ラム氏は、インドネシアでは土地が大きければ、その土地のすべてに家を建てるように考える人が多いうえ、高層化するよりも平屋建てで増築する習慣があることをなどを説明した。

日・イ友好深める南ジャカルタの縁日祭に20万人超の人出

日・イ友好深める南ジャカルタの縁日祭に20万人超の人出
 日本料理店が集中する南ジャカルタ・ブロックMで5月25、26の両日、地区の活性化と日本・インドネシアの友好を深めることを目的とした「第4回リトル東京ブロックM縁日祭」が開かれた。かき氷や焼きそば、射的など日本の縁日につきものの屋台や様々なステージイベント、盆踊りなどが繰り広げられた会場は、主催者発表で過去最高の延べ20万人以上の人出でにぎわった。
 同縁日祭は地区内の日本人飲食店オーナーらが2010年から毎年開催。今回のテーマは「共に歩む(maju bersama)」。
好調なインドネシア経済を反映して日系企業の進出も増加し、地区の活気も増す中、「インドネシア在留邦人の景気動向を示す街」として、日本・インドネシア両国の人にさらに愛される街にしたいとの願いを込めた。
 25日の開会式では地元の子供によるアンクルン演奏に続き、インドネシア側のニザルマン・アミヌディ実行委員長が開幕を宣言。鹿取克章駐インドネシア大使や竹山健一参事官も顔をみせた。今回は昨年まで2カ所に分けていたステージを一つに統合し、会場の一体感を高めた。バンド演奏や沖縄のエイサー、高知よさこいなどの芸能からアニメソングのカラオケやコスプレの大会といったポップカルチャーまで、幅広い分野の催しがあり来場者を楽しませた。
 物品販売や地元飲食店による屋台も規模を拡大。昨年より20店増の150店が立ち並ぶ路上は大勢の人でごった返し、真っ直ぐ歩くのも難渋するほどの盛況ぶりだった。首都圏だけでなく、西ジャワ州バンドンなど遠方からの来場者もみられた。

9月の「ジャカルタ日本祭り」の協賛 きょうから募集

9月の「ジャカルタ日本祭り」の協賛 きょうから募集
 「第5回ジャカルタ日本祭り(JJM)」の開催が9月1日(日)~8日(日)に決まり、JJMのファンドレイジングチーム(FRT)は5月23日から企業などの協賛募集を開始する。ジャカルタ日本祭りは、日本とインドネシアの交流促進を目指し、2009年から毎年恒例となったイベントで、2011年の東日本大震災以後、とくに”きずな”が強まり、ジャカルタと被災地が連携した形でショーが行われ、インドネシア・日本の懸け橋となる、大きな”友好の輪”を生み出している。

再会喜ぶEPA元看護師候補者59人を激励 ジャカルタ

再会喜ぶEPA元看護師候補者59人を激励 ジャカルタ
 日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)の看護師・介護福祉士受け入れ事業で2008年と09年に日本へ派遣され、国家試験に合格できず帰国したインドネシア人の元看護師候補者を中心に59人が5月18日、ジャカルタに集まった。日本で看護師になるという夢を叶えられず、失意のまま帰国した元候補者たちの情報交換の場として、また彼らを激励するために、これまで再受験を支援してきた両国の団体関係者が企画した。初回の08年から12年5月までに日本に渡ったインドネシア看護師候補者総数は392人に上り、合格者は約50人にとどまっている。
 元候補者59人は、中央ジャカルタのプラザ・スナヤンのレストランに集まり、お互いの労をねぎらった。日本で苦楽をともにした友人との再会を喜び合う参加者たち。お互いの近況や今後の思いなどを報告しあった。インドネシア日本友好協会(PPIJ)のラフマット・ゴーベル理事長は「日本から帰っても再受験できるサポート体制があるため、この制度を活用し、”日本・インドネシア両国の懸け橋”として頑張ってほしい」と候補者たちを激励した。

インドネシア大学のアンニサさん優勝 日本語弁論大会予選

インドネシア大学のアンニサさん優勝 日本語弁論大会予選
 国際交流基金とインドネシア元日本留学生協会(プルサダ)の共催による、第42回日本語弁論大会の一般・大学生の部ジャボデタベック(首都圏)地区大会が5月18日、南ジャカルタの国際交流基金ジャカルタ日本文化センターホールで開かれ、インドネシア大学(UI)のアンニサ・ナディラ・イッサティさんが優勝した。
 アンニサさんは「夢を生きる」の題で、自分を信じることの大切さを訴えた。親に漫画家になりたいという夢を伝えたとき、反対されあきらめそうになったが、自分の人生だから後悔のない人生を生きる大切さに気付き、自分を信じて夢を追いかけていく決意を伝えた。
 2位は「幸せ」の題でスピーチしたジャカルタ国立大学のシティ・ヌッラマーさん。人の欲望は際限がなく、欲しいものが手に入ると、欲張ってさらに手に入れようとするが、本当の幸せは見えなくても、いつも近くにあり、その幸せに気付くことが重要だと訴えた。3位は「遊びでも遊び」の題で発表したアル・アズハル大学のリヤン・イブラヒムさん。これら3位までの入賞者は、6月に国営ラジオ局(RRI)ホールで開催される全国大会に出場する。

西ジャカルタで気仙沼市の被災主婦が作った布製品の展示会

西ジャカルタで気仙沼市の被災主婦が作った布製品の展示会
 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の主婦がつくった布製品の展示会が5月17日、西ジャカルタのテキスタイル博物館(JI.KS Kuban No.2-4 Petamburan)で開幕、31日まで実施されている。開館は午前9時~午後3時(月曜、祝日休館)。出展した布製品を制作したのは、気仙沼市工房「MAST帆布KESEN-NUMA」、「coco唐(ここから)」に参加する12人の主婦。展示品は18日から販売され、展示期間後、購入者に引き渡される。
 会場はテキスタイル博物館本館の右側から奥に入り、右にある建物の2階で、錨(いかり)のマークが入った帆布、大漁旗を模した布地などでつくられたカバンやポーチなど60点を展示。制作風景や気仙沼の被災地、ユドヨノ大統領の訪問時の様子、昨年行われたインドネシアパレードの写真などが飾られている。
 国際協力機構(JICA)の専門家として、アチェ津波支援で土地登記簿の修復に携わり、今回の展示会の立案者の坂本勇さん(65)は「このようなグループが被災地には50以上あるが、大統領が訪問するなどインドネシアと縁が深い気仙沼を選んだ。被災者が自助自立するという発想を『輸出』したい」との意気込みを語っている。
 開幕式には日本大使館の島田順二公使、インドラ・リアワン館長ら約35人が出席。ジャカルタ特別州のティニア・ブディアティ観光文化副局長は「文化は政治や経済の壁を打ち破る力を秘めている。物理的な支援以上に精神的な関係を深めることができる良い機会だ」と述べ、展示会を通じた両国の人的関係の促進に期待を示したのがとりわけ印象的だった。

「コマ大戦」模擬大会を実施 金型工業会が年次総会

「コマ大戦」模擬大会を実施 金型工業会が年次総会
 国内金型産業を振興するインドネシア金型工業会(IMDIA)は5月16日、東ジャカルタの松下ボゴール教育財団(YPMG)施設内で年次総会を開いた。総会後、12月にジャカルタで開催予定の産業見本市「インドネシア・マニュファクチャリング・エキシビジョン」内でIMDIAが行うイベント、円錐形の台の上で金属製のコマを戦わせ、回転時間の長さを競う「コマ大戦」の模擬大会を実施した。
 模擬大会は、直径2㌢未満の金属製コマを使用。相撲風の呼び出しで紹介された参加者8人がトーナメント形式で戦った。参加したインドネシア人会員の中には、コマ回しに初めて挑戦し、すぐにこつを掴む人もおり、観客は行事役の判定に一喜一憂し、対戦を見守った。12月の本大会では、参加者は直径2㌢未満の規定の中で、コマの素材や重さを工夫するなど設計や製造技術を競う。
 IMDIAは発足から7年を迎え、会員数は初年度から3.5倍増の364に伸びた。総会では高橋誠会長が2012年度の活動状況を報告。金型金額でみた現地調達化率は45%を記録した。ほかに、インドネシア人技術者育成活動などが報告され、13年度の予算が承認された。

アイシン労組26人がダルマ・プルサダ大学生40人と交流

アイシン労組26人がダルマ・プルサダ大学生40人と交流
 自動車部品大手のアイシングループのアイシン労働組合26人が、5月14~18日の日程で実施しているジャカルタ視察の一環で15日、東ジャカルタのダルマ・プルサダ大学を訪れ、日本語学科の学生と討論会に臨んだ。以下、じゃかるた新聞のルポをもとにその一部を紹介する。
 昨年に続き今回が2回目。大学からは学生40人が参加した。学生を代表してクユさん(20)が冒頭「昨年参加した討論会で、親身に日本語を教えてくれたのが印象的でした。再会できてとても感激した」と語った。組合員と学生が交互に座り、自己紹介。当初、緊張した雰囲気だったが、徐々に打ち解けていった。
 今回はインドネシアの大学生の学習意欲や将来設計など、幅広いテーマについて情報交換した。学生からは日本の労働環境やアイシングループについて質問があった。これに対し、「休日の余暇を充実させることで、仕事にも良い影響があるため、会社の有給制度をうまく活用している」「アイシンは自動車部品の会社で、世界各地に展開している会社。将来は一緒にインドネシアで仕事をしましょう」などと応じた。
 訪問団と学生はその後の夕食会でも交流を深めた。現地の文化や雰囲気を肌で感じることは、相互理解を深めるうえで何事にも変え難い体験だろう。17日には学生の家庭を訪問する予定。

落第候補を二人三脚で全国優勝に導いた青年協力隊の後藤さん

落第候補を二人三脚で全国優勝に導いた青年協力隊の後藤さん
 国際協力機構青年海外協力隊の陸上競技指導者として派遣されている元高校非常勤講師の後藤知宏さん(27、兵庫県出身)の教え子、ムハマド・ニザールさん(17)が先月、ユースクラスの110㍍ハードルで全国優勝した。ニザールさんはジャカルタ特別州選抜の強化メンバーに選ばれながらも、思うように成果が出ず落第候補筆頭だった。それだけに今回二人三脚で掴んだ栄光は、「落ちこぼれ」の汚名返上するとともに、任期を5月26日に終える後藤さんへのプレゼントになっただけでなく、二人にとって大きな自信になった。
 南ジャカルタ・ラグナンの体育学校に2011年1月に入学したニザールさん。将来を有望視される選手が集まる全寮制の中高一貫校で、学費や食費は無料。家計に負担をかけず、得意の短距離を磨けるとあり、張り切っていた。ところが、きつい練習についていけない。記録も伸びず、指導者からは「選抜をクビにする」と半ば見放される状態で、親には退学の意思も打ち明けていた。後藤さんが着任したのはその1カ月後。選抜チームでは計25人の選手を8人で分担して指導するが、成果を出すと賞与が出るため、指導者間で選手獲得競争が激しい。後藤さんは事情がよく分からないまま自動的にニザールさんを任された。「押し付けられたと思った」というのが正直な感想だった。いざ練習を始めても、周囲は2人の練習を懐疑的に見ていた。
 後藤さんがニザールさんに施した指導法は短距離に的を絞った練習メニューと、徹底したコミュニケーションだった。「スタミナ」を重視するインドネシアでは、短距離選手であっても長時間の走り込みが当たり前で、常識では考えられない指導法だった。当然、同僚コーチから批判的な声が漏れ出し、逆にそれが闘志を燃やす材料になった。日記形式の練習記録にコメントを付けたほか、積極的に話しかけ外出時も一緒に過ごした。結果、指導開始から4カ月後の州大会では、短距離、ハードルともに総なめ。その後もめきめき記録を伸ばしていったのだ。
 今回の成果を受けて「自分の指導に自信が持てた」と語る後藤さんは、今後も指導者としての道を歩みたいと、志を新たにしている。

J2ネット・FLSが日・イで石鹸づくりで障害者の就労支援

J2ネット・FLSが日・イで石鹸づくりで障害者の就労支援
 邦人ボランティア団体、J2ネットはインドネシアと日本で、障害者の就職支援を行う非政府組織(NGO)フルライフサポート(FLS)と協力し、手作り石鹸の製作・販売を通じた障害者の就労支援計画を進めている。両団体が互いの得意分野を生かして長期的に継続可能な支援をする試みだ。(以下、じゃかるた新聞に紹介された要旨を記す。)
 手作り石鹸の販売を通してJ2ネットの奨学金支給活動に参加していた福崎令奈さんは、FLSの松田千恵子代表と意気投合し就労支援計画を立ち上げた。J2ネットの堀芳美さんの紹介で、精神・身体障害児の教育・リハビリテーションを行うNGOの障害児童育成財団(YPAC)の利用者に対し、J2ネットが石鹸づくりを指導し、FLSが就労支援体制の構築・トレーニングを担当することを決めた。
 J2ネットのメンバーのほとんどは駐在員夫人たちで入れ替わりガ激しく、支援を継続することが難しく大きな課題だった。だが、FLSと連携することで継続可能となる。FLSは材料費などを先行投資し、石鹸販売の利益から製作者への給料を支給。仮に赤字になったとしても、FLSの他事業からの収入で補えるという。FLSにとっても障害者の就労支援が拡大するメリットがある。
 数週間後には参加者の中からリーダーを決め、組織体制をつくる。その後、日本へ帰国した福崎さんから引き継いだJ2ネットメンバーの清水おり恵さんと田熊明子さんの指導者の下、石鹸づくりをトレーニングし、ジャカルタ日本祭りなどでの販売を目指すという。