インドネシア・マカッサルだより


インドネシア・マカッサルだより
1月29日、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから、お便りをいただきました。ありがとうございます。今後、定期的に同地の催事や日本人会の活動などをレポートしていただけることになりました。まず第1号をご紹介します。

南スラウェシ州マカッサルと日本人とは古い縁
 まず現在、私が住んでいる南スラウェシ州マカッサル市の概略をかいつまんでご説明します。スラウェシ島は5つの州があり、そのうちの一つ、南スラウェシ州マカッサルは最大の都市で、当地周辺には事業社、JICA(独立行政法人 国際協力機構)関係、海外青年協力隊、学生、その他含め100人弱の日本人が在住しています。当地と日本人の関わりは歴史的には古く、大正時代から日本人が居たそうです。
 したがって、マカッサルで領事館があるのは唯一、日本領事館です。しかし、首都ジャカルタやリゾート地のバリのように日本人は増えず、少し寂しいことですが逆に減少しています。そのため、領事館も現在、出張官事務所と変わりました。
 現在多くの日本人が海外に活路を求めて活動している中、今年の新年会パーティーでのご挨拶で、東本所長(領事)や箕川さん(トビコ製造会社)らは、ここ南スラウェシ、マカッサルでもいろいろな悩みや問題を抱えながら頑張っている日本人がいます。だからこそ、日本経済の発展につながっているのだと信じて頑張りましょうとのエールがありました。
 私も海外にいるからこそ、日本人でありたいと願っています。ちなみに、正月になんとか工夫して餅をつくり、、鰹の雑煮をつくりました。やっぱ日本人かな?

日本人会で「マカッサルラグラグ会」が歌を披露
 近況をお知らせします。1月26日、南スラウェシ日本人会のパーティーがありました。この会で私が世話役になっている「マカッサルラグラグ会」が歌を披露させていただきました。「マカッサルラグラグ会」の会員は現在、日本人、インドネシア人合わせて9名で、今回は「Indonesia Pusaka」「花は咲く」「Angin Mamiri」「心の友」「Rasa Sayangu」「上を向いて歩こう」の6曲を歌わせていただき、楽しいひとときとなりました。

 

介護福祉士の国家試験にインドネシア人184人が受験

介護福祉士の国家試験にインドネシア人184人が受験
 1月27日、日本の介護福祉士の国家試験が全国で行われた。この試験には2008年に始まった日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、日本で働いているインドネシア人候補者184人が試験に臨んだ。看護師・介護福祉士の国家試験ではともに、外国人受験者の合格率の低迷が続いており、政府は様々な改善策を導入している。今回は試験問題のすべての漢字にふりがなを振ったほか、外国人の試験時間を通常の210分から1.5倍の315分にした。合格発表は3月28日。

成長著しいジャカルタで働きがい求める20代日本人増える

 いまの日本社会に存在する様々な旧弊を嫌悪し、若い世代の日本人がインドネシア、タイなどで”就活”する動きが増えている。
 インドネシアの首都ジャカルタの日系企業で働く20歳代の日本人の若者に共通するのは「自分が簡単に入れ替え可能なパーツではなく、人材として必要とされている」「成長する経済・社会の中に身を置き、やりがいを実感したい」などの、日本ではもはや体感することのできない、強い思いだ。そうした思いを叶えられる場所、「若者が夢、野望を抱ける国」として、彼らはジャカルタを選んだのだ。
 しかし、なぜ海外なのか、ジャカルタなのか、シニア以上の世代には端的には理解しにくいところだ。しかし、1990年代以降、日本が「失われた20年」と揶揄(やゆ)されるように、実は彼らは日本経済の「成長を知らない子供たち」なのだ。かつて”エコノミック・アニマル”と称されたように、日本の代名詞でもあった経済の強い成長力は衰え、この20年で国際関係も経済のしくみも、人口構成も大幅に変わったのに、制度改革がそこに追いついていない。日本にはびこる「学歴主義」「社歴至上主義」など、偏見なく外国に目を向ける彼らは若者独特の鋭敏さで、こうした旧弊を忌み嫌い、職場に漂う「抑圧感」「窮屈さ」に直感的に抵抗を覚えるのだ。
 いまの25歳が物心ついたころ、日本ではバブル経済が崩壊した。10歳のころ、生産年齢人口(15~64歳)がピークを打ち、下り坂になった。一時的な現象と思われていた不況が、不幸にもそれが当たり前となるような時代に思春期を過ごした世代だ。
 日本からのインドネシア進出企業は1255社。日本式ビジネスを理解した日本人を求める企業の求人は増え、現地では常時100件以上に上っているという。現地採用された日本人の平均給与は手取りで1700~3000㌦(14万~25万円)前後。物価水準は日本の1/3~1/4のため生活に不自由することはない。
 だからこそ、「どうせなら、未来の感じられる国で」「自分が、働く国の経済に一役買っている気持ちを持てて、日々やりがいがある」などの思いを実感できるジャカルタが、彼らが望む働く場所としての条件を揃えているのだろう。

被災者に想い発信 ジャカルタで邦人合唱団合同コンサート

 邦人はじめ地元の合唱団と交流しながら音楽を楽しむことと、歌を通じて昨年の東日本大震災被災者にメッセージを送ることをテーマにしたジョイントコンサートが12月9日、南ジャカルタのクニンガンのウスマール・イスマイルホールで開かれた。これは在留邦人でつくるジャカルタ・サザンクロス混声合唱団、女声のコール・ムティアラ、男声のジャカルタ・メール・クワイヤーらが開催したもので、インドネシア人合唱団、邦人のフルートサークル「キョラ・ムーン」なども友情出演、客席に集まった家族や友人約400人に歌声を届けた。
 混声は合唱組曲の「蔵王」から蔵王讃歌など6曲、女声はフィガロの結婚の「華やかなオーバチュア」や中島みゆきの「時代」など、男声は組曲「人間の歌」から5曲をそれぞれ歌い上げ、観客を楽しませた。閉幕前には参加合唱団が合同で「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソング「花は咲く」、森山直太朗の「さくら」、スマップの「世界に一つだけの花」を歌い、震災被災地に想いを発信した。

インドネシアのイスラム学校で「日本流」じわり

 過激派の温床となるイスラム学校・寄宿塾「プサントレン」が一部で問題化する一方、国際化の流れを受け、インドネシアで日本語や日本文化を教える学校が登場。伝統と発展を調和させる日本独特の「和」の心を学んでいる。ジャカルタ郊外のイスラム学校、マドラサ・プンバングナンの日本語教室がそれだ。
 同校のカリキュラムは宗教と一般科目が半々。日本語教育は2006年に、調和や規律の心を育むきっかけになればとの想いから始まった。同校のダルル校長は04年、日本政府のイスラム学校指導者の招聘事業で選ばれ日本を訪問。町工場や学校、仏教施設を巡り、日本人と対話した。この事業は初回の04年から毎年、約10日間の日程で実施。計85校から91人の教師が日本を訪れた。
 ただ、表面的には和やかな文化交流に映る招聘事業だが、実は企画したのは外務省の国際テロ対策協力室や、インドネシアで毎年のようにテロに見舞われた経験のある日本の大使館員らだ。過激派のメンバーにはイスラム寄宿塾出身者が少なくない。こうした寄宿塾に忍び寄る過激思想を絶つ方法として、日本政府が実行したのが、発言力のある優良校を端緒に日本文化を知ってもらう事業。伝統を重んじながら、新しいものを取り入れて発展を遂げてきた日本の調和のさまをインドネシアに紹介することが狙いだ。
 成果は徐々に広がりつつある。10年に訪日したプサントレン・ダルサラームのファドリル校長は、精神文化に共通性を感じ、11年に日本の本や装飾品を展示した「日本文化センター」を設けた。他校でも、参観日や大学の理系学部との交流、土足禁止の規則など、日本で影響を受けて導入した事例もあるという。

EPA派遣学生支援へ 東京都・首都大など動く

 東京都、首都大学東京が、日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、10月末から西ジャワ州バンドンのインドネシア教育大(UPI)看護学科の学生に対してテレビ電話を通じた日本語学習支援を始めた。これは、日本行きを前に日本語能力の向上を促すことで、国家試験の合格率上昇とインドネシア人看護師・介護福祉士の定着を目指す取り組みの一つ。
 講義は週に1回、1年生から3年生までの全学生約60人が受講。首都大学東京の日本語教育や看護学科の教員たちが、1年目は基礎日本語、2年目は看護・介護分野の専門的な日本語、3年目は国家試験対策を教える。授業の様子を録画しており、将来的にはEPAでの日本行きを目指すインドネシア全国の学生が視聴できるしくみの構築を目指しているという。
 2008年に開始したEPA制度で日本へ行ったインドネシア人看護師・介護福祉士候補者は791人。国家試験の合格率は年々上がっているものの、今年も看護師が約13%、介護福祉士が約37%にとどまっている。不合格者を中心にすでに帰国したか、近く帰国する人はこれまでに約200人に上る。
 日本政府は国家試験の問題に振り仮名をつけるなどの対策を取っている。また、帰国者に対し在インドネシア日本大使館を通じ、試験や日本入国の手続きの支援、模擬試験を実施。国家試験への再チャレンジを促すほか、帰国者の再就職も後押しする方針だ。

スラバヤ市と北九州市が「環境姉妹都市」で提携

 インドネシアの東ジャワ州スラバヤ市と福岡県北九州市はこのほど、環境姉妹都市(グリーンシスターシティ)提携の覚書を締結した。環境姉妹都市は、環境ビジネス分野でのつながりをより重視した友好関係の促進に向け、北九州市側が提唱。インドネシアを訪れた北九州市の北橋健治市長は、同市の知見やノウハウを輸出することで、未来型のまちづくりをしたい-と語り、官民連携し環境政策の海外展開を推進する方針を示した。
 工業地帯の一角で、かつては悲惨な公害被害に苦しんだが、これを克服し、環境と経済を両立させた北九州市。この経験をアジアの他都市でも生かそうと、スラバヤ市では04年から生ごみの堆肥化事業の「高倉式生ごみのコンポスト化協力事業」を実施。同市内の廃棄物が3割減少するなど、高い効果を挙げている。また、11年には「戦略的環境パートナーシップにかかる共同声明」を結び、廃棄物やエネルギーに関する多くの事業が始まっている。

4年目迎えた交流行事「ジャカルタ日本祭り」開催

 今年で4年目を迎えた交流行事「第4回ジャカルタ日本祭り(JJM)」が9月23~30日、開催された。今回のテーマは昨年の東日本大震災後、インドネシアで支援活動が広がったことを受けて再確認した友情を、次の世代へつなげていこうと「深まる絆、広がる交流、インドネシア・日本」。

 9/23のオープニングではジャカルタマラソン・駅伝が行われたほか、中央ジャカルタのサリ・パンパシフィック・ホテルで、インドネシア人の若者で構成する「大江戸助六流ジャカルタ太鼓クラブ」が勇ましい太鼓演奏を、ジャカルタ特別州が招いた「サンガル・エカヤナ」がジャカルタ土着の民族ブタウィの伝統舞踊をそれぞれ披露。ファウジ・ボウォ・ジャカルタ特別州知事、鹿取克章・駐インドネシア日本大使、小林一則JJM実行委員長らがあいさつ、開幕を宣言した。

 会期中、折り紙ワークショップ、21世紀伝統和楽団・中村仁美公演、ジャカルタ琴クラブ、日本のアイドルグループAKB48の姉妹ユニット、JKT48ライブ、高知よさこい百花繚乱、沖縄エイサー、国際漫画賞受賞者トークショー、世界コスプレサミット第3位表彰デモンストレーション、ドラえもんショーなどが行われ、会場は熱気に包まれた。

 中でも今回印象深かったのは、オープニングでテーマを反映した、インドネシアと、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の交流の紹介。震災を乗り越えて開いた「インドネシア・パレード」の支援活動にジャカルタで参加し、気仙沼のパレード本番にも駆けつけた松井和久さんと、パレードで使用する各地の伝統衣装を集めたライオンズクラブのスリ・バノワティさんがステージの壇上で顔を揃えたときだ。これにテレビ電話で気仙沼の鈴木敦雄さんが加わった。震災前から10年間、パレードを続けてきた鈴木さんはテレビ電話を通じて「インドネシアの皆さんの協力のお陰で、今こうやって生活を送ることができています。その気持ちを何よりも伝えたかった」というメッセージを会場に送った。

 最後はNHK東日本大震災プロジェクトのテーマソングとなっている「花は咲く」を実行委員会委員やJKT48、観客らが合唱して幕を閉じた。