弥生人が眺めた古代の「大賀ハス」滋賀県野洲市で見ごろ

遺跡発掘調査で、2,000年以上前の弥生時代の地層から見つかった種を育てた、古代のハス「大賀ハス」がいま、滋賀県野洲市の弥生の森歴史公園で見ごろを迎えている。
同公園では32年前に開園する際、大賀ハスの株を譲り受け、池で育てている。今年は10日ほど前から咲きはじめ、直径10cmほどの鮮やかなピンクの花が咲き誇っている。2,000年前の弥生人たちもこのハスを眺めていた(?)のかも知れない。大賀ハスは7月中旬まで楽しめるという。同公園は月曜日は休園。

「京都五山送り火」中止せず 今年は規模を大幅縮小し実施

京都のお盆の伝統行事「京都五山送り火」は中止せず、規模を大幅縮小し実施する方針であることが分かった。新型コロナウイルスの影響で、日本三大祭の一つ、祇園祭の最大の見せ場「山鉾巡行」などの中止が決まっているだけに、五山の送り火も今年は行うのかどうか、検討が続けられていた。
京都五山送り火は、8月16日の夜に行われる、先祖の霊を送るお盆の京都の伝統行事。「大」や「妙法」などの5つの文字や形が、京都市を囲む5つの山々に炎で描かれる。

兵庫・丹波市の1.1億年前の地層から世界最小の恐竜の卵の化石

兵庫県立人と自然の博物館と筑波大学の研究グループは6月24日、兵庫県丹波市のおよそ1億1,000万年前の「前白亜紀」と呼ばれる時代の地層から、世界最小で新種の恐竜の卵の化石が見つかったと発表した。今回見つかったのは幅2cm、長さ4.5cm、推定の重さおよそ10gの化石。2019年1月から3月にかけて発掘されたおよそ1300点の化石の中から見つかった。
卵の化石は、「丹波竜」の発見者の村上茂さんの名前にちなみ「ヒメウーリサス・ムラカミイ」と命名された。また、今回見つかった他の卵の化石の1つも新種と分かり、「サブティリオリサス・ヒョウゴエンシス」と名付けられた。
この地層では、これまでに国内最大級の草食恐竜「丹波竜」の化石などが相次いで見つかっている。

中大兄皇子と中臣鎌足出会いの広場の遺構発見 飛鳥寺西方遺跡で

大化の改新の立役者、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻の樹の広場」の跡とされる奈良県明日香村の遺跡「飛鳥寺西方遺跡」で、広場の名前の由来となった欅(けやき)の木があった可能性を示す遺構が初めて見つかった。同村の教育委員会がまとめた発掘調査の報告書で分かった。
同報告書によると、飛鳥寺西方遺跡の広さは少なくとも南北が200m、東西が140mで、一面に石が敷かれていた。この場所では井戸の跡が見つかったほか、近くの飛鳥寺からみて西の方角には6mから7m四方にわたって石敷きがない場所が残されており、このスペースに槻の樹が生えていたとほぼ断定した。
槻の樹の広場は、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所ととして「日本書紀」に記されている。

正倉院宝物を再現した「よみがえる正倉院宝物」展 7/4から

正倉院の宝物を忠実に再現した作品を集めた特別展「よみがえる正倉院宝物」が、奈良国立博物館で7月4日~9月6日開催されることになった。これは正倉院の宝物を人間国宝などが当時の技法や構造を忠実に再現した模造作品を披露するもので、これまで製作された数百点の模造作品の中から選りすぐられた逸品およそ100点が展示される。
同展は4月から開催される予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期されていた。

大坂城の4建造物を豊臣秀頼が滋賀・竹生島の宝厳寺に移築か

滋賀県の調査によると、びわ湖の竹生島にある宝厳寺の「観音堂」など4つの建物は、豊臣秀吉が築いた大坂城から移築された可能性が高いことが分かった。今回わかったのは、同寺にある重要文化財の観音堂、寺に隣接する都久夫須麻(つくぶすま)神社にある国宝の本殿、これらをつなぐ2棟の「渡廊」の4点。
宝厳寺の国宝「唐門」は、大坂城の本丸と二ノ丸をつなぐ「極楽橋」と呼ばれた建物の一部を、秀吉の息子の豊臣秀頼が移築したことは知られている。滋賀県は今回、同寺の修繕工事に合わせて調べた結果、いずれもその構造などから既述の4カ所も大坂城から移築されたものと判断した。

マヤ文明で最大の建造物確認 メキシコのアグアダ・フェニックス遺跡

古代マヤ文明の遺跡の調査を進めている日本、米国、メキシコなどの研究チームはこのほど、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認したと発表した。6月4日、英科学誌ネイチャーに発表された。
同建造物の規模は南北約1400m、東西約400mにわたる。マヤ文明でこれまで最大規模とされてきたエル・ミラドールの建造物より40万㎥以上大きいという。建造物の上部には平面状の「基壇」が広がっており、発掘調査で未使用の翡翠(ヒスイ)の石斧(せきふ)が見つかったことなどから、研究チームはこの建造物は共同祭祀に使われていた施設とみている。

根井三郎発給のビザ初確認 杉原とともにユダヤ人に「命のビザ」

出身地・宮崎市の根井三郎顕彰会はこのほど、第二次世界大戦中、杉原千畝とともに「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を救済したとされる外交官、根井三郎が発給したビザが初めて確認されたと発表した。
今回見つかったのは根井がポーランド出身の家族に単独で発給したビザで、ビザには昭和16年2月28日、敦賀横浜軽油アメリカ行きと書かれ、根井三郎の署名が記されている。根井が単独で発給したビザが見つかったのは初めて。
宮崎市佐土原町出身の根井は第二次世界大戦中、ウラジオストクに外交官として赴任。杉原が発給した「命のビザ」でウラジオストクまでたどり着いたユダヤ人に対し、外務省の命令に背いてビザや渡航証明書を発給し、数百人の命を救ったとされる。

京都・仙洞御所で秀吉築城の「京都新城」の遺構見つかる

京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査によると、京都仙洞御所(京都市上京区)で豊臣秀吉が1597年に築いた最後の城、「京都新城」の石垣などの遺構が初めて見つかった。
今回見つかったのは堀や石垣などの跡で、このうち石垣は高さ1.6m、長さ8mにわたって、乱れなく積み上げられていた。また、同じ場所から、秀吉が関わった城だけに使われていた、表面に金箔の御紋が施された瓦も見つかったという。京都新城の実態はこれまでほとんど分かっておらず、遺構が見つかったのは今回が初めて。
京都新城は、秀吉が邸宅の聚楽第を壊した後、最晩年の1597年に京都御所の近くに築いた。およそ32万㎡もの広大な敷地を持っていたとされ、”太閤御所”などとも呼ばれていた。秀吉の死後は、正室の北政所の屋敷として利用されたが、関ヶ原の戦いの直前に壊されたとされている。

奈良・纒向遺跡で出土の板状の石は「すずり」

古代、邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡で6年前に見つかった板状の石は「硯(すずり)」とみられることが分かった。この石は縦およそ11cm、横およそ7cm、厚さおよそ1cmの板状に加工されたもの。ただ、その用途は不明だった。このほど國學院大学の柳田康雄客員教授の調べで、弥生時代のすずりに似ていることや、中央部がやや窪んでいることなどからすずりと判断した。当時、中国との交易には文書のやり取りが必要で、この際に使われたものと結論付けた。
纒向遺跡は3~4世紀にかけての大規模な集落跡で、女王・卑弥呼が治めた邪馬台国の有力な候補地とされている。