横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

東京国立近代美術館(東京都千代田区)によると、日本画の巨匠、横山大観(1868~1958年)の回顧展「生誕150年 横山大観展」の概要が明らかになった。2018年4月、同館での東京からスタートする。
明治150年の節目に、約40㍍で日本一長い絵巻とされる重要文化財「生々流転」や、あでやかな「夜桜」「紅葉」など大観の代表作が一堂に揃う。このほか、100年ぶりに所在が明らかになったインド風の「白衣観音」や、ハレー彗星を題材にした「彗星」など前期の作品にもスポットを当て紹介する。
会期は東京が4月13~5月27日、関西は京都国立近代美術館(京都市左京区)で6月8~7月22日。

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体が集結

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体代表が集結

江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜(15代)が1867年、朝廷に政権を返上した「大政奉還」から150年となるのに合わせて、大きな役割を果たした藩や都市の代表が京都市に集まり、交流を深めていくことを確認した。
この会合は「幕末サミット」と名付けられ、会場となった京都市のホテルには薩摩藩のあった鹿児島市や長州藩のあった山口県萩市、会津藩があった福島県会津若松市、それに新選組ゆかりの東京都日野市、坂本龍馬を観光資源としている高知市など、幕末の舞台や時代を動かす人物が躍動した20の関係自治体の代表が集まった。
参加自治体の活動や関連イベントの紹介の後、京都市の門川市長が「歴史に学び歴史でつながり、都市の理想の実現を目指す」という共同宣言を読み上げた。一行はこの後、大政奉還の舞台となった二条城の国宝、二の丸御殿に場所を移し、共同宣言の文書を前に記念撮影した.

「銅鐸をつくった人々」展 茨木市・東奈良遺跡

「銅鐸をつくった人々」展  茨木市・東奈良遺跡

大阪府茨木市東奈良の茨木市立文化財資料館で、弥生時代の銅鐸など青銅器をつくった工人たちの動向に迫るテーマ展「銅鐸をつくった人々-東奈良遺跡の工人集団」が開かれている。11月27日まで。火曜日休館。入館無料。
今回は石製の銅鐸鋳型36点(国重要文化財)を同時初公開。同遺跡から「新発見」された高坏(たかつき)形土製品なども初公開されている。このほか、東奈良遺跡で働いていた工人の源流とみられる鬼虎川遺跡(東大阪市)から出土した銅鐸鋳型なども展示し、工人集団の動向や他集団への影響力も紹介している。
東奈良遺跡は昭和46年、水路改修工事現場で子どもたちが土器片を発見したことがきっかけで出土した弥生時代の集落跡。銅鐸鋳型や送風管など、鋳造用の道具類が大量に発見された。

幕府と薩摩・長州藩の鳥羽伏見の激戦伝える砲弾展示

幕府と薩摩・長州藩の鳥羽伏見の激戦伝える砲弾展示

京都市考古資料館(京都市上京区)で、大政奉還150年を記念した企画展「鳥羽伏見の戦いの痕跡」が開かれている。11月12日まで、月曜日休館、入館無料。
幕府軍の本陣だった伏見奉行所跡(伏見区)と、薩長同盟の舞台で知られる薩摩藩二本松屋敷跡(上京区)での発掘調査の解説パネルと出土品を並べ陳列している。奉行所の砲撃戦について、直径12㌢の砲弾や赤く焼けた地面を写真で紹介。二本松屋敷跡で射撃訓練に使ったとされる銃弾も並び、刀剣による激突ではなく、激しく銃弾が飛び交ったであろう鳥羽伏見の戦いを彷彿とさせる。

豪華11屋台に観光客感嘆の声 秋の高山祭始まる

豪華11屋台に観光客感嘆の声 秋の高山祭始まる

飛騨路の秋の風物詩、秋の高山祭が10月9日、岐阜県高山市で始まった。
晴れ渡った秋空のもと、金色の装飾や様々な彫刻が施された、きらびやかな11台の屋台が市中心部の桜山八幡宮の境内と参道に並ぶと、訪れた観光客、見物客らから感嘆の声が挙がっていた。境内では36本の糸で操られた人形が妙技を見せる「からくり奉納」が披露された。
祭りは10日までで、市は2日間で計20万人の人出を見込んでいる。
高山祭は国の重要無形文化財に指定されているほか、2016年秋、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「山・鉾(ほこ)・屋台行事」に登録された日本全国33祭りの一つ。

家臣の給与指示する秀吉自筆の文書見つかる

家臣の給与指示する秀吉自筆の文書見つかる

豊臣秀吉が家臣の給与について、自ら指示した自筆の文書が見つかった。この文書は熊本県天草市の民家に保管されていたもので、今年8月、兵庫県姫路市の県立歴史博物館が調査した結果、秀吉が姫路城の城主だった当時のものと分かった。同博物館では、秀吉のまめな性格がよくわかり、当時の秀吉と家臣との関係を研究するうえで貴重な資料-としている。
文書は「切符」と呼ばれる家臣の給与について記したもので、秀吉が姫路城の城主だった1582(天正10)年3月の日付とともに、重臣の小出秀政に対し、配下の家臣に「五人扶持(ごにんぶち)」を与えるように命じる内容。五人扶持は5人を1年間養える給与で、家臣の中では高い地位とはいえず、現在の価値でいえば100万円程度とみられるという。
この文書は10月7日から同博物館で始まった特別展で展示されている。

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

平等院の木造聖観音菩薩立像は「来迎」の姿

京都府宇治市の世界遺産、平等院の平安時代の菩薩像が極楽浄土から死者を迎える「来迎(らいごう)」の姿を表していることが分かった。平等院が発表した。
平等院では境内にある塔頭(たっちゅう)に伝わる平安時代の菩薩像「木造聖観音菩薩立像」の修復を進めてきた。その結果、同像について①衣の部分が前から風を受けてたなびくような形に彫られている②衣の裾の一部が台座に入り込んでいることなどから、この像はもともとは前方に傾いていた-ことなどが分かったという。
このため、菩薩像は阿弥陀如来に付き従って極楽浄土から死者を迎えに来る、いわゆる「来迎」の姿を表したものとみられるという。平等院では寺院の歴史をする上で貴重な発見だとしている。

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺東塔 回廊は格式高い複廊・幅6㍍と判明

東大寺などは10月3日、奈良・東大寺の東塔を囲む回廊が、中に2つの通路が並行する複廊の構造だったことが分かったと発表した。
奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所の調査団によると、鎌倉時代に再建された東塔のうち南側の南面回廊跡で、回廊の柱を立てた礎石の穴が見つかった。その並び方などから回廊には通路が2つあり、全体で幅約6㍍だったことが判明した。
南面回廊跡の中心には南門の遺構もあり、門の柱を立てた礎石の穴が12個見つかった。東西方向に4本、南北方向に3本並んでいたとみられる。門の東西の柱の間隔は中央約4.5㍍、左右約4.2㍍で幅は約13㍍。南北の柱の間隔は約3.6㍍ずつで、幅は約7㍍。これは京都市の東寺の国宝、蓮華門などに匹敵する大きさだという。

正倉院で年に1度の「開封の儀」 正倉院展は10/28~

正倉院で年に1度の「開封の儀」正倉院展は10/28~

奈良時代の聖武天皇ゆかりの品々を収めた奈良・正倉院で10月4日、年に1度宝庫の扉を開ける「開封の儀」があった。宮内庁の職員らが封を解いて中へ入った。11月30日まで宝物の調査や点検が続けられる。
宝物の一部を公開する正倉院展は10月28日から11月13日、奈良市の奈良国立博物館で開かれる。同展ではペルシャ風の図柄で羊などを描いた国産の屏風「羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」や聖武天皇が愛用したとされる鏡「槃龍背八角鏡(ばんりゅうはいのはっかくきょう)」など58件が展示される予定。

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」「源氏物語」の写本など集め特別展

「日本書紀」など国宝3点を含む、合わせて70点余りの書物や掛け軸などが集められた特別展が、奈良県天理市で開かれている。
天理大学附属博物館、「天理参考館」の特別展でひと際目を引くのが「日本書紀」「源氏物語」などの写本。鎌倉時代に書かれた、神話の時代の出来事を記した日本書紀の写本、同じく鎌倉時代に書かれた紫式部の小説、源氏物語の写本だ。このほか、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の生前の姿がうかがえる数少ない資料、芭蕉が全国を歩きながら俳句を詠んだ様子を描いた掛け軸「奥の細道行脚之図」など貴重な資料も少なくない。