世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月31日、歴史的価値の高い文書などを対象とした「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、江戸時代の朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めた。群馬県高崎市の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」も登録された。
朝鮮通信使は、朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。対馬(長崎県)や江戸を経て、徳川家康が祀られている日光東照宮(栃木県)まで、一行が通った地域に外交文書や行列の様子を記した絵などが残っており、日韓の関係自治体や民間団体が共同で計333点の登録を申請していた。
このほか、日本が申請していた第2次世界大戦中に数多くのユダヤ人を救った岐阜県出身の外交官、杉原千畝の資料「杉原リスト」は、今回の登録に含まれていないとみられる。

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

前橋市の群馬県立文書館などによると、1857(安政4)年3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で、坂本龍馬と桂小五郎(後の木戸孝允)が対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、同館に保管されていることが分かった。
今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現 群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託されたもの。
折り畳んだ縦約16㌢、横約1㍍の和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守上屋敷二而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石川孫六、海保帆平ら計43人が一対一で戦った22試合の結果を、毛筆で縦書きに記している。

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡を調査、研究する同市纏向学研究センターのフォーラム(桜井市主催)が10月29日、東京都千代田区のよみうりホールで開かれた。
今回は邪馬台国の女王・卑弥呼の外交をテーマに講演と4人の討論会が行われ、参加した考古学ファンら約600人が聴き入っていた。大阪大学の福永伸哉教授や俳優で考古学研究者の苅谷俊介さんら4人が、卑弥呼を補佐したとされる「男弟」が外交で果たした役割や、中国の歴史書「魏志倭人伝」に魏から卑弥呼に贈られたとして記された鏡や刀の行方などについて、それぞれ講演した。
その後、寺沢薫・同センター所長の進行で4人が討論。「魏への朝貢は大きな賭けで、国際情勢の転機に乗じて決断した卑弥呼は、傑出した指導者だった」などと活発な意見が交わされた。

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を公開する「第69回正倉院展」が、10月28日から奈良国立博物館で始まった。11月13日まで。
初日は大勢の人たちが訪れ、開館前からおよそ1000人が列をつくった。今回は初出展の10件を含む58件が展示されている。
「緑瑠璃十二曲長坏」は、濃い緑色のガラスの盃(さかづき)で、緩やかな曲面に植物の文様やウサギの姿が施され、異国情緒を感じさせる。また、初公開の「伎楽面 迦楼羅」は、寺の儀式などで行われた仮面舞踊劇「伎楽」の面。「迦楼羅」は空想上の鳥を期限とする仏教の守護神という。

「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

「本能寺の変」直後の秀吉の家臣宛て書状を新発見

織田信長が天下統一を前に、明智光秀に討たれた1582(天正10)年の「本能寺の変」直後、羽柴(豊臣)秀吉が家臣に宛てた書状が愛媛県内の個人宅で発見された。書状の内容は、変後に横行した京都市中での略奪に対し、信長ゆかりの品々に限っては持ち主に返すよう命じたもの。
当時、略奪行為から守るため、安全面から武士や公家が寺社に財産を預ける慣行があった。東京大史料編纂所の村井祐樹准教授が現地で調査、筆跡や文面内容から新発見の書状と判断した。天正10年8月14日付で、秀吉が堀尾毛介(吉晴)ら3人の家臣に宛て、文末に「筑前守 秀吉」の名と花押がある。
天王山の戦いで明智勢を破って入京した秀吉は、横行していた略奪行為を目にして、略奪物の持ち主を確認するように家臣に命じたが、秀吉の家臣までもがこの略奪を始めたため、結局は容認する姿勢を示しつつも、主君・信長から賜った「上様御物」は返還を命じている。

平安京跡で貴族の収集品の保管場所見つかる

平安京跡で貴族の収集品の保管場所見つかる

京都市内の平安京の遺構の発掘調査で、中国産とみられるガラス製の水差しの破片や陶磁器などが多数見つかり、平安時代に貴族が集めた品々の保管場所があったことを示す貴重な飼料として注目されている。
今回発掘が行われているのは、京都市南区東九条のホテル建設予定地で、平安京の南東部分にあたる。当時この周辺には官位の高い貴族たちの住まいが建ち並んでいたことから、名の知れた貴族が各地から収集した品々を保管する場所だったとみられている。
奈良市の元興寺文化財研究所の調査によると、平安時代末期にあたる12世紀後半ごろの遺構から「水滴」と呼ばれる水差しの注ぎ口部分の破片が見つかった。破片は長さ2㌢、幅1.5㌢ほどの青みがかったガラス製で中国産とみられる。平安京の遺構からこのような水滴が見つかったのは初めてという。また、周辺からは他にも近畿や東海など国内各地でつくられたとみられる陶磁器や土器が多数見つかった。

世界遺産 平泉・無量光院跡で堀の跡発見

世界遺産 平泉 ・無量光院跡で堀の跡発見

岩手県平泉町教育委員会は10月17日、世界遺産「平泉の文化遺産」を構成する無量光院跡の発掘調査で、堀跡を発見したと発表した。隣接する柳之御所遺跡の堀跡と工法などが似ており、町教委は両遺跡の関連を示す手掛かりになるとみている。
堀跡は復元された無量光院跡の池から約50㍍離れた地点で見つかった。当初幅9㍍、深さ2.3㍍だった堀は、無量光院の造営時に深さ1.5㍍に改修。その後、幅2㍍、深さ60~70㌢に小規模化したと考えられる。堀跡からは土器や中国産磁器、扇の一部が出土。12世紀後半に藤原秀衡が無量光院を建立する以前から、この場所に宗教施設があったと推測されるという。
町教委は10月21日、午前11時から現地説明会を開く予定。

三角縁神獣鏡33枚など「黒塚古墳のすべて」展 橿原市

三角縁神獣鏡33枚など「黒塚古墳のすべて」展 橿原市

古代の鏡が数多く見つかった奈良県天理市の黒塚古墳の出土品を一堂に集めた展示会が橿原市で開かれている。11月26日まで。
この展示会は黒塚古墳の発掘調査から今年で20年になるのを記念して、橿原考古学研究所附属博物館が開いているもので、同古墳から出土した鏡や甲冑(かっちゅう)など国の重要文化財に指定されているおよそ150点が展示されている。
このうち三角縁神獣鏡は、古墳から出土した33枚すべてが展示されている。三角縁神獣鏡は、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国から授かったという説もある古代の鏡で、1つの古墳でこれほど多く見つかった例がなく、出土当時、全国的に注目された。
また、「Y字型鉄製品」は二股の部分に布が付着していたことから、長い布をなびかせる儀礼用の道具とみられ、埋葬者の地位の高さを示しているという。

横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

横山大観 生誕150年回顧展 18年4月東京でスタート

東京国立近代美術館(東京都千代田区)によると、日本画の巨匠、横山大観(1868~1958年)の回顧展「生誕150年 横山大観展」の概要が明らかになった。2018年4月、同館での東京からスタートする。
明治150年の節目に、約40㍍で日本一長い絵巻とされる重要文化財「生々流転」や、あでやかな「夜桜」「紅葉」など大観の代表作が一堂に揃う。このほか、100年ぶりに所在が明らかになったインド風の「白衣観音」や、ハレー彗星を題材にした「彗星」など前期の作品にもスポットを当て紹介する。
会期は東京が4月13~5月27日、関西は京都国立近代美術館(京都市左京区)で6月8~7月22日。

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体が集結

大政奉還150年「幕末サミット」20自治体代表が集結

江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜(15代)が1867年、朝廷に政権を返上した「大政奉還」から150年となるのに合わせて、大きな役割を果たした藩や都市の代表が京都市に集まり、交流を深めていくことを確認した。
この会合は「幕末サミット」と名付けられ、会場となった京都市のホテルには薩摩藩のあった鹿児島市や長州藩のあった山口県萩市、会津藩があった福島県会津若松市、それに新選組ゆかりの東京都日野市、坂本龍馬を観光資源としている高知市など、幕末の舞台や時代を動かす人物が躍動した20の関係自治体の代表が集まった。
参加自治体の活動や関連イベントの紹介の後、京都市の門川市長が「歴史に学び歴史でつながり、都市の理想の実現を目指す」という共同宣言を読み上げた。一行はこの後、大政奉還の舞台となった二条城の国宝、二の丸御殿に場所を移し、共同宣言の文書を前に記念撮影した.