インドネシア国民の政治への関心高めた先の大統領選

インドネシア国民の政治への関心高めた先の大統領選

<インドネシア・マカッサル便り>

南スラウェシ州の州都マカッサルシに在住の竹内ロビーさんから、久しぶりにお便りをいただきました。(9月16日発信)早速、ご紹介します。

ご無沙汰しています。今頃の日本は初秋の気持ちの良い気候でしょうか。マカッサルは乾期の真っ最中で、日中は暑い日が続いています。9月10日から13日まで断水していました。水道管の工事だそうですが、日本ではまず考えられないことですね。ジャカルタはまだ雨がよく降り、MRT(大量高速鉄道)工事もあり、市街地の道路は相変わらずの渋滞だそうです。

さて今回はこの7、8月、騒がしかったプアサ中の大統領選挙と開票結果のトラブルなどで見聞きしたことを少しお知らせします。ご存知のように大統領選挙は軍人でエリートで実業家のプラボウォ氏と、ソロ市長、ジャカルタ特別州知事を経て大衆の支持で立候補したジョコ・ウィドド氏との一騎打ちとなり、各メディアとくにテレビが多くの時間をかけて報道していました。

日本と違ったことはテレビ局が二分され、出口調査を含め、それぞれの支持者寄りの報道をすることで、際立ったのが開票速報でした。その結果、両候補とも勝利宣言する事態となりました。2週間後の公式結果発表後もプラボウォ氏が敗北を認めず、法廷に提訴し8月末、ようやくジョコ氏の次期大統領が決まりました。

選挙戦も対照的でした。資金は募金のみで活動したジョコ氏側と、膨大な資金力のあるプラボウォ氏側が金をばらまき、ジョコ氏を中傷するブラック(ネガティブ)キャンペーンがありました。日本なら即、選挙違反です。ただここらあたり、インドネシア国民に政治への関心が強くなった表れで、汚職にまみれた政治家への反発となりました。

現ユドヨノ政権で3人の閣僚が汚職を追及され、辞めています。このため、ジョコ次期大統領は閣僚の数量枠を減らし、大半を政治家からではなく専門家(プロフェッショナリスト)から選ぶと明言しています。そんなこんなで、まだプラボウォ氏の反発は続いていますが、10月20日から発足する次期政権の国内政治、経済の立て直しに注目が集まっています。次回は、もう少し柔らかい話をレポートします。

 

マカッサルだより④独立記念日とラマダン・レバラン

マカッサルだより④独立記念日とラマダン・レバラン
インドネシア・マカッサルだより④ 独立記念日とラマダン・レバラン
 南スラウェシ州の州都マカッサル市在住の竹内ロビーさんから8月15日、お便りをいただきました。今回は、17日の独立記念日直前のインドネシアの雰囲気と、ラマダン(断食月)、そしてレバラン(断食月明け大祭)前後の人々の暮らしぶりや街の雰囲気などを伝えてもらいました。

 暑中お見舞い申し上げます。日本が連日35度を超える日々が続いていることは、こちらでもニュースになっています。皆様いかがお過ごしですか。17日の独立記念日は大使館、総領事館で記念式典が行われると思いますが、こちらでもジャカルタの大統領官邸、州知事公舎でも式典の準備が進められています。ここマカッサルでも市役所、州知事官邸でステージや仮設スタンドを立て大規模な式典になるようです。
 今年はラマダン明け聖日が今月8日でしたから、とっくに休み気分が終わっているころなのに公務員らは休んだり、仕事をしている雰囲気ではありません。交通整理に立つ警官も見かけなくなり、信号が消えている交差点も多く、ほぼ毎日運転している私は、緊張の連続です。無謀なバイクの運転にはルールというものがなく、当てられたら損という自己責任の世界です。お蔭で、皮肉にも私の運転技術は日本で運転していた頃より数段うまくなったように思います。いや逆にもう日本では運転できないでしょう(すぐに違反で捕まりそう)(笑)。
 7月9日からのプアサ(断食)中は午前5時から午後6時前後のマグリブ(断食明け)まで飲食(たばこも)できないので、たてまえは通常通り仕事するといってますが、無理な話です。学校は昼まで、会社員(とくに公務員)は午後4時には退社します。ただ、夕方になると大型ショッピングモールやレストランは連日満員で、日本でいえば年末の雰囲気でした。好景気の中で国民の消費意欲は凄く、ラマダン明け聖日が日本でいう正月みたいなものです。そのために買いだめし、家で食事するより外食するという風潮です。そして、レバラン聖日前後の1週間が休みになると帰省したり、旅行する人も多いので、街中はガラガラ。車はスイスイと走れました。
 ジャカルタも同様で、高速、幹線道路は帰省客で渋滞と連日ニュースになっていました。そのレポートで驚いたのが首都周辺で約400万人が移動、そのうち8%が飛行機を利用したと伝えていたことです。まさに”バブル”です。先月値上げされたBBM(燃料税)の影響で物価は上がっていますが、あまり気にしていないようです。日本でいろいろ経験した私にとって、不安な部分はありますが、ただ見届けるだけです。またレポートします。

 

 

 

インドネシア・マカッサルだより④断食とレバラン休暇

インドネシア・マカッサルだより④断食とレバラン休暇
南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから「マカッサルだより」が届きました。

今年の断食入りは人によりまちまち
 今年もプアサ(断食)が始まりました。この断食入りが7月9日からか10日からかを巡って7日ぐらいから連日、テレビのニュースで取り上げられ話題になっていました。政府(宗教省)はインドネシア全土5カ所(アチェ、バンドン、マラン、マカッサル、ジャヤプラ)に観測所を設置し、観測していました。というのは、水平線上に太陽が沈んだ(日没)時に月の位置を観測し、5度以下になったら翌日から断食入りするそうです。
 しかし、今回は5カ所全地域で天候が悪く、発表がなかなか出ませんでした。結局、政府(宗教省)の公式発表は10日でしたが、イスラム団体モハマディアは9日としたため、断食に入る人がまちまちになったようです。

レバラン休暇は8月8・9日~の長期に
 そこで、レバラン(断食明け大祭)がどうなるのだろうと気になって、カレンダーでチェックしてみました。すると、8月8日と9日が赤色になっていました。なるほど、こんな事情は十分、想定済みだったんですね
 今年はレバラン前後2週間と8月17日の独立記念日後1週間が休みとなるため、官庁、学校も休みます。したがって長期にわたって休日となります。この間、とくにジャカルタは人が少なくなりますね。ちょうど、日本のお盆休みと同じようですね。もちろん、こちらの休みは、日本の旧盆の休暇と比較すれば圧倒的に長いですが…。

帰省・旅行客多く、空港はもうごった返す
 インドネシアでは経済が好調なため収入が増えており、この時期に里帰りや旅行する人が多いんです。そして航空券が少し高くても利用者は増えており、すでに売り切れになっている日も少なくないようです。現にマカッサルでも空港は、もう今からごった返しています。 

インドネシア・マカッサルだより

インドネシア・マカッサルだより①日本人会・新年会パーティー
 1月29日、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから、お便りをいただきました。ありがとうございます。今後、定期的に同地の催事や、日本人会の活動などをレポートしていただけることになりました。まず第1号をご紹介します。

南スラウェシ州マカッサルと日本人とは古い縁
 まず現在、私が住んでいる南スラウェシ州マカッサル市の概略をかいつまんでご説明します。スラウェシ島は5つの州があり、そのうちの一つ、南スラウェシ州マカッサルは最大の都市で、当地周辺には事業社、JICA(独立行政法人 国際協力機構)関係、海外青年協力隊、学生、その他含め100人弱の日本人が在住しています。当地と日本人の関わりは歴史的には古く、大正時代から日本人が居たそうです。したがって、マカッサルで領事館があるのは唯一、日本領事館です。しかし、首都ジャカルタやリゾート地のバリのように日本人は増えず、少し寂しいことですが逆に減少しています。そのため、領事館も現在、出張官事務所と変わりました。
 現在多くの日本人が海外に活路を求めて活動している中、今年の新年会パーティーでのご挨拶で、東本所長(領事)や箕川さん(トビコ製造会社)らは、ここ南スラウェシ、マカッサルでもいろいろな悩みや問題を抱えながら頑張っている日本人がいます。だからこそ、日本経済の発展につながっているのだと信じて頑張りましょうとのエールがありました。
私も海外にいるからこそ、日本人でありたいと願っています。ちなみに、正月になんとか工夫して餅をつくり、、鰹の雑煮をつくりました。やっぱ日本人かな?

日本人会で「マカッサルラグラグ会」が歌を披露
 
近況をお知らせします。1月26日、南スラウェシ日本人会のパーティーがありました。この会で私が世話役になっている「マカッサルラグラグ会」が歌を披露させていただきました。「マカッサルラグラグ会」の会員は現在、日本人、インドネシア人合わせて9名で、今回は「Indonesia Pusaka」「花は咲く」「Angin Mamiri」「心の友」「Rasa Sayangu」「上を向いて歩こう」の6曲を歌わせていただき、楽しいひとときとなりました。

インドネシア・マカッサルだより②14年に松江市と姉妹都市に
 
2カ月半ぶりに、南スラウェシ州マカッサル市在住の竹内ロビーさんから近況をレポートしていただきました。

2014年、松江市とマカッサル市が姉妹都市に
 4月20日(土)にマカッサルの日本人会の総会がありました。東本所長(在マカッサル出張駐在官事務所領事)のあいさつの中にあったのですが、現在インドネシアにおける日本人はジャカルタ周辺でのみ、増えているのだそうです。前回のレポートでも触れましたが、ここスラウェシ州では在住日本人は年々減少しています。
 しかし、今回の日本人会は私たちにとって明るい話題もありました。現在いくつかの自治体との間で交流案件が進行していると聞きました。詳細についてはまだオープンにできないようでしたが、現在、愛媛県など数県の自治体と、スラウェシ市との交流が進んでおり、2014年に島根県松江市とマカッサル市が姉妹都市になるそうです。
 これからはマカッサルを訪れる日本人も増加するように思われるため、日本人会としても、できる限りの支援をしていきましょうとの話でした。

今後見込まれる東部インドネシアの発展
 これからのインドネシア経済のカギを握るのは、スラウェシ、ボルネオ島カリマンタン、マルク諸島、ニューギニア島パプア(旧称イリアン)などで、これら東部インドネシアの発展、躍進が見込まれています。これらの地域ではいま空港の拡張やインフラ工事が進んでいます。
 マカッサルでみていると、ホテルの建設が多いのに驚きます。ビジネスホテルから四ツ星クラスまで、そんなに多くのホテルができて経営面で本当にやっていけるのかと思うくらいです。確かにマカッサル郊外のハサヌディン国際空港は、24時間空港として終日多くの人で混雑しています。

インドネシア・マカッサルだより③『マカッサル芸術カウンシル』ルポ
 南スラウェシ州マカッサル在住の竹内ロビーさんからお便りをいただきました。 今回は6月16日、マカッサル市主催の『マカッサル芸術カウンシル』の式典にマカッサルラグラグ会として招かれ、、オープニングで歌を披露されたそうです。その折のルポを寄せていただきました。竹内さんにはその感想や印象、そして河原さんに詳細を報告していただきました。

オープニングで「花は咲く」など4曲披露
『マカッサル芸術カウンシル』の式典は6月16日午前中、ホリゾン・ホテルで行われましたが、この式典にマカッサルラグラグ会が招かれ、オープニングで4曲、歌を披露しました。
 曲目は①インドネシアでは全国的にポピュラーな「インドネシアプサカ」
 ②日本の「心の友」③スラウェシ州や東部インドネシア地方のローカルな名曲「アンギンマミリ」④日本の「花は咲く」の4曲です。

クラシック楽団の演奏バックに10人で熱唱
 ラグラグ会のメンバー10人(日本人4人・インドネシア人6人)で、指揮者を含め日頃の練習の成果を発揮、熱唱しました。正式には、南スラウェシ州日本人会の同好会の一つですから、衣装はもちろん(?)浴衣です。 また、今回は初めての試みとしてマカッサルのクラシック楽団と共演し、弦楽器の美しい音色の演奏をバックに一同、気持ちよく歌うことができました。

会場の温かい、大きな拍手に驚きと達成感
 アンコールの声こそありませんでしたが、歌い終わった後、会場から温かい、そして大きな拍手を受け、とてもハッピーな一日となりました。また、出演後に多くの方に声を掛けていただき、ちょっとした驚きと達成感を覚えました。 『マカッサル芸術カウンシル』は、スラウェシ地方の文化、芸術をバリのように内外にもっと発信していくことを目的にマカッサル市が実施、推進しているイベントの一つです。当日は詩の朗読や民族衣装の紹介などもありました。

<ラグラグ会>
ラグラグ会は各地に支部を持つ由緒ある合唱クラブ
 ラグラグ会の近況について、少しご説明します。ラグラグ会とは歌を通じてインドネシアの言葉や文化に親しみ、インドネシア人との交流を深めることを目的に、ジャカルタを中心にインドネシア国内にいくつもの支部を持つ由緒ある日本人合唱クラブです。
 マカッサル支部の歴史もそれなりに古いと聞きますが、ここ1~2年は平均会員数2~3名という状態が続き、かなり細々と活動を続けてきました。しかし、最近はインドネシア人の会員も含めて10名程度に急増。
 何かの催しに呼ばれて出演するなど少しずつ活動の幅も広がってきています。

現在の会員の半分以上はインドネシア人
 現在は会員の半分以上がインドネシア人となり、垣根を越えて、かえってインドネシアの歌にこだわらず、半分は日本の歌を歌うようにしています。 インドネシアの歌は「インドネシアプサカ」など全国的な歌とともに、「アンギンマミリ」などスラウェシや東部インドネシア地方のローカルな名曲を選んで歌うように心掛けています。
 日本の歌では、お馴染みの「上を向いて歩こう」や「心の友」のほかに、最近は震災関係の「花は咲く」も練習しています。

マカッサル日本人会が春の戦没者慰霊祭


マカッサル日本人会が春の戦没者慰霊祭
 南スラウェシ州マカッサル日本人会は6月22日、戦時中(第二次世界大戦)に亡くなられた日本人の方々の春の慰霊祭に行ってきました。慰霊碑は実は、マカッサル市内のインドネシア人、マリア・ラドゥンギ・マハカウベさん宅
の敷地の一角にあります。慰霊碑には、日本人戦没者34人の名前が刻まれ、その御霊が祀られています。

現地の方の好意で建立された慰霊碑
 敗戦後の1946年、日本軍兵士を捕虜としていた連合軍、とくにオランダ兵によって20数名の兵士(そのほとんどが四国・九州出身者)が銃殺されたそうです。当初、御霊は墓地内に点々と、ただ埋められていたそうですが、墓地のすぐ傍らに住んでおられた、既述のマハカウベさんの夫(故人)が、日本人遺族の方の篤い思いに賛同、ご好意で自宅の敷地の一角を提供してもらい、1987年、この慰霊碑が建てられました。

先人の思い風化させない 気持ち新たに 
 時代が移り、遺族の方々の家族も孫、曾孫の時代となり、ここへ参拝に来られる方も少なくなってきました。そこで、5年前からマカッサル日本人会で春と秋の年2回慰霊祭を行っています。
 当日は、敷地を提供していただいたご主人(故人)の奥様、マハカウベさん(82)が、参加した私たち13人を温かく迎えてくれました。私たちは慰霊碑前で線香をあげて、戦没者のご冥福をお祈りしました。私たちは、先人の篤い思いがいつまでも風化しないよう願っています。

南スラウェシ日本人会のパーティーで



「この写真は26日の南スラウェシ日本人会のパーティーで私が世話役になってるマカッサルラグラグ会が唱わせて頂いた写真です。会員は現在日本人、インドネシア人合わせて9名で、今回は6曲唱いました。
『Indonesia Pusaka』『花は咲く』『Angin Mamiri』『心の友』
『Rasa Sayang』『上を向いて歩こう』
母の影響か交流することに生き甲斐を感じています。また何かあったら連絡して下さいね、お手伝いします。」
場所:   New Shogun Japanese Restaurant   マカッサルにあります。